886214948
バイクその他

ゼロ戦 日米の設計の違い

終戦の時期なので、そんな話で第二次大戦の伝説の戦闘機ゼロ戦の話を。

有名なゼロ戦、日本が誇るゼロ戦。

戦争の話はもの悲しい話になってしまうのだけど、

ゼロセンには、当時の日本の技術の高さ、考え方の違い、設計思想の極端な日米の違いが
いろんなことを教えてくれます。

ゼロ戦について

もはや有名なほど有名
日本が太平洋戦争の初期に、圧倒的な性能で世界を恐れさせた 戦闘機です

zerofighter52

セロ戦の細かいところに興味がでたのは、ある番組で、ゼロ戦の設計者だった人が作った車
昔の名車 スバル360 ができるまで を見たとき

セロ戦の作りをみて、一言で

「寒くなった・・ 怖いわ こんなもんで空 飛んで戦うの!」

  • ゼロ戦ってこんなペラペラの戦闘機だったのか
  • こんなもんで、機関銃の嵐をくぐり戦ってたのか!

その作り通り、スバル360も、ペラペラ

ゼロ戦 その圧倒的な戦闘性能

ペラペラでも、ゼロ戦の性能は圧倒的で、欧米の戦闘機を次々とけちらし、
大戦の初期は世界を恐れさせた ”セロ ファイター”

特に、真珠湾と同時作戦で入った、マレーシア、インドネシアのイギリス、オランダの戦闘機はあっという間に撃破して圧倒的勝利

ゼロ戦の敵でないというぐらいの勢い

ものすごい戦闘機だったわけです、それは戦争の前半までですが・・

ゼロ戦の設計思想

と言っても

日本の技術力の何もかもが飛びに抜けていたわけではない。

ゼロ戦は一言で

「性能のほとんどを 攻撃力に振って、防御力をほったらかした戦闘機」

できることは限界があります、
ケーキなら巨大なケーキでなく、ケーキをどの大きさに切るか。

丸いケーキの切り分けを、

ほとんど攻撃力にとって、防御は少ししか与えない

こういう意味の性能だったわけです。

ゼロ戦 エンジン中島

当時を考えたら、こういうのが最良の考えの1つなのかなぁとも思えます(涙)

  1. 資源なんてないし、燃料の備蓄もギリギリ
  2. 生産資源も限られている
  3. 燃費がよく、材料の鋼材も最小限で高性能に

その答えは、、軽量化が最も近道かもしれない・・・

ゼロ戦は、軽量で燃費もものすごくよかったのです。(日本車と似てる)

 

アメリカの対抗機種

大戦の初期には、アメリカは事前に情報として、脅威としての大きなデータがなかったので、対ゼロ戦での空の敗北の数々。。

アメリカもゼロ戦の性能を恐れ、戦闘と交戦方法で対策を次々考えていたそうです。

ゼロ戦みたら集団で当たれ、一対一では戦いを挑むな!

といいつつも、対策変更をすぐに出さず、しばらくゼロ戦の優位が続く・・

アメリカの戦闘機もペラペラ軽量にしたらいいのに
とおもっていたんだけど、、

そうしなかったのは、日米では戦闘機の考え方が全く違うのがその原因のようです。

ゼロ戦の対抗機種

ゼロ戦を恐れながら、研究して登場、ついに満をじして対抗の戦闘機がアメリカから。

F6F ヘルキャット
F6F Hellcats

スペックみただけで、これでゼロ戦に勝ち目ないわ!

と思った。

設計側の視点で大雑把にとらえるのに ”重量” に着目

ペラペラにして対抗するどころか

戦闘機の重量を2倍にしてある!

設計側からすれば、

戦闘機の重さを2倍にして作っていいんなら、どんな性能にでもできるわ!

ぐらいの自由さだと思います。

大げさだけど、飛行機とかなら、重量は減らすことを常に求められる要素の1つ。
絶対に厳しく付きまとう設計側への要求だと思う。

それ2倍にして作るって・・それぐらいの変更

代わりにエンジンのパワーも2倍のエンジンを搭載

エンジンのパワーで動作性能
重量をとった、徹底的な防御の鉄板をあちこちに配備して、玉があたってもそう簡単には落ちない作り

一方、ペラペラで玉が隅っこでも当たるとすぐ火を噴いて墜落するゼロ戦。

こんな高性能で豪華なもん作れて、フル量産して対抗してくるアメリカ

F6F N3

そのほか新型の対空砲などで、ここから空でもゼロ戦は次々と敗北を重ねていきます
寒い気持ちになる大戦の後半です。

大戦の末期ごろには、防弾性能も装備した同等の性能をもった
紫電改という戦闘機が出てきますが、遅すぎた。

でも、これを主力に量産できる力はもともと日本にはないんじゃなかと思います。

大戦末期には、日本は物資も材料も枯渇。。

各家庭にナベやヤカンの供出(寄付)のおふれ
松ヤニも何につかうのかしらないけど、松からとってみんなで集めろってほどの窮地。

いつもの批判

ここまでは、よく知られたゼロ戦の栄光と没落の伝説

そして、ゼロ戦の防御にも配慮した変更提案を、認めなかった大本営(当時の戦争遂行司令部)

散々の当時の大本営の批判意見ばっかりが始まるわけですが。。

当時としては、日本の力でこんな方向でしか互角に戦う方法がなかった のかもしれない

どういう方法があったのだろう。でもその短い期間にも、新型の対抗機=紫電改が登場するんだから
やっぱりスゴイ、当時でも。

 

アメリカと日本の設計思想の裏側

散々自国機がゼロ戦に撃ち落とされてるのに、早急対応でペラペラにして対抗してこないアメリカ

ここまでゼロ戦の対抗機に時間をかけたのには、考え方にはっきりとした違いがあります。

費用対効果の効率的な考え

日本は大和魂で立ち向かう、、なせばなるが主流

アメリカは、戦闘機のパイロット一人を要請するのにおおざっぱに1億円(現在の価値で)
いなくなっても、早急に補充は効かない

なによりも、パイロットの温存を重視した姿勢がアメリカの方針
(人命重視でないよ)

この合理的なアメリカの方針はいつも徹底しています。

日本との海の空中戦でも、救出部隊のポートを海上に配置して、落下傘で落ちてくるパイロットを一人でも多く救出するその体制は、戦争中でも徹底している。

そこまでの余裕や方針の違いがあることを、ゼロ戦調べていくうちにまざまざと知る。

日本の底力

どんどんと敗戦に近づいていく日本・・・

その末期にも、スゲー 日本て! と驚かされる話が残っています。

負け戦を重ねる日本は、同盟国ドイツの最新鋭兵器の協力を受けて、提供してもらっていたわけですが、
ドイツから日本の輸送の途中の攻撃でことごとく撃沈され、日本には帰り着けない状況

潜水艦 伊58

その攻撃をかいくぐり、
1度だけ、最新鋭のドイツ兵器と図面を積んた潜水艦がドイツから日本にたどり着きます。

その新型兵器の1つが、

ヨーロッパで開発が進んでいたジェットエンジン
ロケットもジェットエンジンも、全部ドイツがつくったんだよね

たどり着いたジェットエンジンの図面、
日本はたどり着いた図面をもとに、ついに大戦末期にジェット戦闘機を完成させる

ジェットエンジンはヨーロッパではイギリスも開発していたが、
当時の日本では構造もよくわからんエンジンを、図面を頼りに試作機を完成させる(ほぼ終戦のころ)

橘花 ジェット戦闘機
橘花

これを見て、なんでもやるよな 日本人は。。

そしてドイツは、新兵器作らしたら世界一

すでにドイツではジェット戦闘機も実戦投入で戦っていた

ドイツ Me262 ジェット戦闘機
ドイツ ジェット戦闘機Me_262

このころには、ドイツも燃料もない状態なんだけどね

ジェットエンジンは、内燃機関の4サイクル(吸気、圧縮、点火、排気)を1工程でいっぺんにやる原理だそうです。
2サイクルでやると原理上、倍の力出せる、これを更に1度でやって強力な噴射を作るエンジン。

あとロケットエンジンの戦闘機もドイツでは開発されていました。なんでも作るよドイツ
日本もそれを図面からなんとか想像して完成させる・・・

日本すごいぞとか、こういう点をあんまり熱くは語りません(笑)

今は、日本は世界からみてスゴイ、尊敬される とかやりすぎに思う。
それだけ自分を見失い、自信を無くしているんだと思います。

日本の特殊さは世界地図と歴史からみてもそう思う

教 訓

ドイツも日本も変わった国だなぁ といつも思うんだけど

それぞれどっちも、ヨーロッパでも アジアでも

一風変わったマジメな国です(笑)

教訓は

マジメなやつ追いつめて、怒らせると恐ろしい!! 

日本

アメリカは日本に余裕で勝ったと思っている人も多いですが、
余裕の差はあれ、アメリカもギリギリの思いで常に戦っていたことはあまり知られていない。

国家が破たん寸前まで、資源をとめて締め上げ、日本を追い詰めたアメリカとヨーロッパ諸国。

アメリカ軍の歴史の中で、もっとも死傷者を出した対国は 日本です。

ドイツ

ヨーロッパは歴史上で年中争ってきてますが、1回目の戦争で敗北したドイツ、

負けたからって
ヨーロッパ中が寄ってたかって巨額の賠償金をドイツに背負わせ国家経済が破たんするまで追い詰めた結果

ついにキれたドイツは、ヨーロッパ中に反撃、あっという間に追い詰めた昔の敵国をまた次々と降伏させ、占領。

 

マジメなやつ怒らせるとしまいに刺し殺される。。とかよく言われるけど、

調子にのって追い詰めると、我慢が強い分、反撃のエネルギーも巨大

運命を背負いすべてをかけ反撃してきます。

それは、日本の歴史を見てもわかるでしょう・・・

「マジメなやつを追い詰めて、怒らせないようにしましょう」

そして、まじめな人は

「我慢しすぎず、思い詰めず、ちょっとずつ反撃しましょう」

なんてへんな教訓なんだろう(笑)、でも歴史では、いろいろな解釈ができるもんです。

関連記事