次は すぐ近くの 金剛峯寺へ 今度こそ
高野山会館すぐちかくにあるのが金剛峯寺です。
ここが入口
金剛峯寺(こうんごうぶじ)
ここを通って入っていくと・・
すがすがしい天気のなか、入り口をくぐるとそこはには、ふわーとため息でそうな、大きな広い境内。
ぼくはここにご招待されたのか、そう思えるほど美しくて荘厳な境内。
本堂に進むと、お遍路さんを見かけます。
ここで最後にお札を納めお参りできる幸せを感じます。一番札所で買い求め、書き方を教えてもらった厚いお札の束はもうほとんど残っていない。その数だけ参拝したの、とシミジミ。
ゆっくり般若心経を、お札を納め、手を合わせます。すーと体の力が抜けていくようで。
このお遍路の旅で、やっぱりお参りなんてすべて気持ちの問題だと思いました。
だれもが、自分流にお参りしたらいい。そこに気持ちがあるほど喜びや楽しみや、堵感や達成感、気づきも大きいし、それが御利益かも。
金剛峯寺で納経
ここでも納経が受けられます。
納経所は中に靴を脱いで。そして内観もできる。ここはその内観の窓口と納経
納経は、混んでいなかったこともあり流れ作業ではなくゆっくりかみしめるような筆運びで書いてもらえたようです。最後の納経にはありがたいです。
金剛峯寺内観
内観できるお寺は珍しいです。これがもう、壮大な寺院でその大きさに驚くばかり。
内観料は500円
この金剛峯寺は、1593年豊臣秀吉が亡母追菩提のために建立したもの。(入場券チケットの半券より)
高野山はいろんな場所やみどころがありますが、もう何も思い残すことはありません。
お遍路さんとしては願かなった。
わかりやすく道の矢印があり。途中で、お茶をいただけます。
休憩所あたりの廊下を通りかかり、中の大広間をのぞいていると、2名ですかと突然、尋ねられ
お茶とお菓子の乗ったお盆を手渡される、となりの一室、巨大な寺院の広間 畳の上にすわりお茶休憩
うわー これはいいなぁ
多分 文化財の、寺院の広間に直接座り、お茶休憩の提供があるとは、なんて寛容。
そのご、わびさびの庭園を眺めながら、ぐるっと回るりもとの所へ
こんな体験は初めてです。
内部は、屏風などの撮影は禁止ですが、その他は大丈夫なのでしょう。
高野山にきて憶えたのは
高野山=真言宗で お経は 南無大師 遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)
なむ たいし へんじょうこんごう
高野山にきて 南無 大師 遍照金剛 に区切るのをしりました。
大師=弘法大師 遍照金剛=弘法大師の戒名(戒名というのかは?)中国にわったときにいただいてきた名前だそうです。
仏教では 人は生きている間に 仏の域に達することができます。他の宗教では、人が神様の域になるのは、まずないと思う。
これを即身成仏というそうです。だから戒名なのかもしれません。(正確なところは灌頂名というそうです)
金剛峯寺を終えて、門を出たときは力抜けたように感じた。全部の目的が果たせてすがすがしくもやり終えたような感覚。(あ、出るとき一礼をわすれた)この場で合掌。
お遍路の高野山最終日がこんな晴天、良い季候の中終えることができて何よりです。
もうすぐ帰りの時間
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