高野山でお参り。四国八十八カ所参りの最終地です。
お遍路最終地 高野山 奥の院をめざして
高野山 奥の院
今日からまたお遍路、四国八十八カ所参りのつづきです。
今回は 奥の院 から散策。
奥の院とは、
弘法大師様の安置されている廟があるという高野山最大の聖地です。
高野山の 奥にある院という事らしいですが ”奥の院”として有名
高野山の最大の仏教の中心場所、それが奥の院です
奥の院へ
たいへん大きな敷地で
川に区切られた橋を渡り、とてもきれいな大きな墓地の敷地、杉の木々の間の歩道をひたすら行くと、その先に弘法大師様の安置されている廟(びょう)がある。
正道は一の橋からスタートするそうです。ここで一礼して入り、ここから終点の廟まで約2キロ
一の橋
奥の院の地図 緑の部分が奥の院
緑色の部分の奥の院は、日本地図のような形。その青森あたりにあるのが、
最後の地 弘法大師様が今も安置されているという廟で、ここが奥の院の目的地になります。
広くて、往復するし中を歩き回るとかなりの距離。
地図の日本地図にたとえた本州の関東部分はずっと墓地で、企業墓地として大企業の慰霊碑や、数々の有名な戦国大名が眠る墓地のずーと抜けて行く
まっすぐに伸びた樹齢××年というような、普通のお寺には1本か2本あればよいぐらいの杉が無数に一面にある。ため息が出そうで、歩いて進むうちに癒されて心が透き通っていく気がする
(各杉には1本一本に番号札があり ?? と思うのですが、これは各杉に番号が付き、国に管理されているそうです)
秀吉のお墓
ロケットの形のお墓も有名
途中には、お坊さんの学校のツアーらしき学生一行も。
多分、仏教系の中学、高校なのかな みんなぼうず頭
説明を受けてる最中、よく見かける光景
となりと少し突っつきあったり、友達同士ではしゃいでる感じもあったけど、
これもやっぱり、よく見る街で見かける高校生、修学旅行の団体と違って
ちゃんとしているとこらがあって騒がない・・・自分の中高生時代とは違う品を感じる。
かわいい小坊主さんといったところかな(^^)
高野山の聖地
ずーと歩くと 玉川という小川にさしかかる。
その橋を渡ると向こうに、お大師様が眠り安置されている廟があり、ここからは特に神聖な気持ちで行くようにとのことで
玉川を超えた奥の院からは撮影、などが禁止になっている。
この橋の先からは特別な聖地とされる。まっすぐに伸びた歩道の先に廟の本堂が見えます。
その手前に水掛観音があり、意味もわからず水をかけお参りしてきましたが、この意味は今晩のナイトツアーでしることになる。
(この川の先は聖地なので、この川で体を清めるのが本来らしいですが、自分の代わりに観音様に水を掛け清めてから入るという意味だそうです)
ついに奥の院の本堂 きたきた 来た!
ここにお札を納めることができたときの安堵感と達成感でジンワリと感動しました。
ゆっくりとお経を唱え、そしてその回りにある廊下を行くと、弘法大師が眠る廟があります。
ここにお線香とろうそくを。当然写真はナシ
ここで納経を受けました。ここ奥の院が納経帳の先頭ページになっています。
お遍路として私の四国八十八カ所参りの旅が満願を感じた時でもありました(涙)
札所の各お寺には、御詠歌の句が1つあります。
高野山の句は
ありがたや高野の山の岩かげに
大師はいまもおわしますなる
この句は、四国八十八カ所参りの中で、どこかで一度は聞く有名な句です。
今も心は高野山にあり修行をしているという意味(そのままですが)
ここから歩いて戻る。
入り口がいくつかあり、あれこれ歩いているとかなりの距離をあるいて疲れた。
2011年7月に和歌山を震源とする大きめの地震がありました。高野山は?
と思ったのですが、無事な様子。
四国の東部にも伝わり、震度4ぐらいとなっている。
でも、こういう所もありました。
高野山は地質上、地震には強いそうです。その代わりわき水が吹き出したりすることが多く、山肌の崩れなどがよく起きたりするようです。
大きな駐車場の前の入り口に戻る。
確か奥の院に入るのは2つの橋があり、ここは広い駐車場の前。
地図でいうと一番右の入り口。オレンジ色の吹き出し矢印が出ているところ
車で来ると一番入り安いところです。だからなのか一番大きな門。
本来は 一の橋から入りるのが正道とのこと。
この一番大きい駐車場のバイク置き場には いろんなバイクが止まっている。
道行くバイクも必ず見かける。高野山はツーリングで来るポイントでもあるようです。しかしライダーと高野山は不釣り合いに思うのは気のせいかな。
奥の院は広く、往復し、中をさらに歩き回るとかなりの距離を歩くことになる。
今日の宿は 恵光院。
高野山にはホテルというのが無く、50ぐらいのお寺で泊まる宿 宿坊があります。
4:30から座禅体験なのでそれまでに入る。